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黒田投手   引退・・・><

2016年10月19日

いつかは来ると思っていました。

後1年は 
投げて欲しかった>< というのは本音ですが

新井さんのインタビューを聞いていると
かなり身体がボロボロのようですね。


確かに
またリーグ優勝を目指す・・・
CSで勝ち残る・・・・
というプレッシャーを
また1年負う事は かなりしんどいでしょうね。




引退会見の黒田投手には
ほっとした
清々しさがありましたね。








私には黒田さんの業績は書けないので
ニュースより抜粋させていただきました。
もちろん ここには載せきれない程のメディアが
あなたを称賛しています。








Yahooニュースより・・・
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161019-00000001-wordleafs-base&p=1
全米メディアも黒田引退を次々報道!惜しむ声とトレード秘話も
THE PAGE 10月19日(水)5時31分配信

広島の黒田博樹投手(41)が今季限りで現役引退することを表明した。
ドジャース、ヤンキースでプレーした黒田の衝撃ニュースを全米メディアも次々と報道した。

 メジャーリーグのニュースを扱うウェブサイト、MLBトレードルーマーズは、
日本発の報道を引用し、黒田が引退したことを記事にして伝えた。

「41歳の黒田はドジャースとヤンキースの質の高いメンバーの一員としてよく知られている」

 そう見出しが取られた記事は、「日本のスター選手は33歳までメジャーリーグに来なかった。
彼はプロの投手としての20年間のうち、NPBに13年(そのすべてはカープに)在籍し、
2000イニング以上投げ防御率は3.55だった。
日本に復帰後には、さらによい成績を残していて、その2年間の防御率は2.55と3.09である。
チームが日本シリーズを戦ったのち、引退する」と黒田の日本での実績を紹介。

 そして、黒田がメジャーリーグに移籍した時代について、
「メジャーでも、黒田は優れていた。他にも黒田を欲しがる球団はあったが
3年契約で2008年にドジャースへ。さらに1年契約を結んでドジャースに残った。
そこから東海岸のヤンキースへ移り、1年契約を繰り返した」と振り返った。

同サイトは、黒田の投手としての特徴を述べ、それを高く評価した。

「メジャーリーグでプレーした期間を通じて、
彼は安定しているということで手本になるような選手だった。
先発数が31試合未満だったのは、2年目の2009年だけ。
防御率が3.76を上回ったことはない。ドジャース時代とヤンキース時代の成績もよく似ている。
ドジャースでは699イニングを投げ、防御率3.45、9回あたりの奪三振数は《6.7》、
9回あたりの四球数は《2.1》だった。ヤンキースでは620イニングを投げ、
防御率3.44、9回あたりの三振数《6.7》、四球数は《2.9》だった。球速が少し落ちてきても、
シンカーとスライダーをうまく使い、安定した投球を続けた」とメジャーで残したデータを引用して、
どれだけ安定感のあったピッチャーであったかを説明した。
 
 そして「黒田はメジャーリーガーとして8800万ドル
(現在のレートでは約88億円だが、実際にはもっと上)を得た。
そして現在、日本では、最も高い年俸を得ている。
彼がもたらした価値を論じるのは難しい。
メジャーリーグトレードルーマーズも彼の20年にわたるプロ野球選手としての
素晴らしい活躍に対する祝福の輪に加わりたい。彼の今後の幸運を祈っている」と締めくくった。
記事の末尾には多くの読者がコメントを投稿している

 ヤンキースファンからのようだ。「彼のピンストライプの姿を見ることができてうれしかった。
彼は松井のことを思い出させた。劇的さや、ファンファーレなしに仕事をした。いつもプロであり、
とてもよい投球をした。派手さはないがいつも頼りになった」

 なかには日本語でメッセージを書こうとして「オレガトウ、クロダサン」と少し間違ってしまった人も。

 ニューヨークデイリーニュースなどニューヨークメディアも引退のニュースを伝えたが、
黒田とは対戦相手としてしか関わりのないレッドソックスの地元紙、
ボストングローブまでが黒田の現役引退を取り上げた。

 ボストングローブ紙は、2011年のトレード締め切り期限にフォーカス。
「先発投手不足に苦しんでいたレッドソックスは、黒田をトレードで獲得しようと交渉していたが、
黒田の契約にはノートレード条項があり、黒田はボストンに移ることを好まなかったと言われた」と
当時の秘話を披露した。

 そして、「その年の黒田はトレード締め切り後、11試合に先発し、7勝3敗 防御率3.00だった。
黒田はレッドソックスが取り逃したものを正確に表していた。
彼のドジャースに残るという決断がバタフライ効果を生み出し、
一方で羽をパタパタさせることが、反対側ではハリケーンとなったのである」と書いた。
 黒田を獲得できなかった2011年のレッドソックスは、90勝72敗でア・リーグ東地区3位に終わり、
フランコーナ監督の最後の年になったのだ。

 同紙は「もし、あのときレッドソックスが黒田を獲得できていれば、
2011年は優勝争いをしていたかもしれず、その後の5年間も違ったものになっていたかもしれない」と、
黒田のメジャーリーグでの存在の大きさを表現し、引退を惜しんでいた。

 黒田がメジャーで残した偉大な爪あとを象徴するかのような全米メディアの反応だった。











以下 
 デイリースポーツより・・・

黒田の背番号15“半永久欠番”に 松田オーナー「お金では計れない」
 広島の松田元オーナー(65)が18日、広島市内の球団事務所で応対し、
黒田博樹投手(41)に感謝の言葉を並べた。
以前から今季限りで引退する意向を伝え聞いていたが、
この日、初めて本人から直接「引退」を告げられた。
「ご苦労さまと言った。最後(九回)まで投げる姿を見せたいと言っていたが、
体力が追いつかない。それが悔しいと言っていた」と話した。
 年俸20億円とされるメジャーの巨額オファーを断って昨季、
古巣の広島に復帰。その言動はチームやカープファン以外にも大きな反響を呼んだ。
「お金では計れない価値観を見せてくれた。
それがファンの人の心も動かしてくれたと思う」。
昨季から球場はいつも超満員。ファンの心に火を付け、
その火で自らの心を燃やした選手がつかみ取った25年ぶりの栄冠だと振り返った。
 メジャー移籍した後、15番は黒田復帰を願って空けていた。
今後については「すぐにつけられる人は出てこないのではないか。世代が一つか二つ空いて、
つけられる選手が出てくるのでは」と“半永久欠番”になる見通しを明かした。
 球団は右腕の功績を称え、特別なプレゼントを用意。
10勝目を挙げた10月1日のヤクルト戦(マツダ)で使用したマウンドのプレートを贈る予定にしている。











緒方監督 黒田引退に「2年間一緒に戦えて光栄」 チームの財産になる
 広島・緒方監督も18日、黒田の引退を惜しんだ。
25年ぶりのリーグ優勝を「彼の力があったからこそだと思う」とコメント。
若い選手に向けた助言や、背中で示した練習姿勢、試合に向かう態度。
全てがチームの財産になると感謝した。
 「これがチームにとって今後、いいものとして残ってくれたらいい。
2年間だったけど、一緒にプレーできて、戦えて光栄だった」
 思い出すのは降板後のベンチで座る姿。「すみません」という一言がいつもあった。
「投げ抜きたい思いが常にあった。その言葉を聞くたびに彼の思いが伝わってきた」。
32年ぶりの日本一へ、またモチベーションが高まった。
「全員で喜びの中で終われたら最高。そこを目標にしてやっていく」と指揮官。
今季掲げた一丸野球を勝利で締める。

  







広島・黒田、日本一が花道 25年ぶりリーグVで引退決断
 広島・黒田博樹投手(41)が18日、広島市内のホテルで記者会見を開き、
今季限りでの現役引退を表明した。午後5時の練習開始前に選手らに報告し、
決断理由にリーグ優勝と日本シリーズ進出を挙げた。
32年ぶりの日本一を目指す日本シリーズでは、
マツダスタジアムで行われる23日の第2戦先発が濃厚。
有終Vで花道を飾る。
 戦い、闘った男の表情は、晴れやかだった。20年に及んだ現役生活。
日本で124勝、メジャーで79勝。積み上げた勝ち星以上に、
ただ一度の勲章を得て決断した。「悔いはないです」。
黒田は迷いない言葉に、プロとしての誇りを込めた。
 「理由はたくさんあります。すべては難しいんですが、
一つはリーグ優勝して日本シリーズに進出できた。それは一つ、大きな要因だったと思いますね」
 決断に至った経緯を問われた黒田は、25年ぶりの優勝を最大の理由に挙げた。
2、3年前から思いを抱えながら、優勝決定後の9月中旬に「本格的に考えだした」と、
鈴木球団本部長や新井らに進退を相談。新井からは慰留されたが、
自分の意思を通した。前日17日に正式に了承を得て、この日の発表となった。
 日本シリーズを目前に控えた中での発表。
「最後の登板」と知った上で共に戦った仲間、ファンに見てもらいたいという強い思いもあった。
「次に自分が投げる試合が、最後になるかもしれない。
応援してもらったたくさんの人に、先に伝えないといけない」。
この日の練習開始前に全選手、裏方スタッフらを集めて、グラウンドで思いを明かした。
 「素晴らしいチームで戦わせてもらい、素晴らしい夢を見させてもらった。
最後は笑顔で優勝して、ビールかけができたら最高。ありがとうございました」
 体は既に限界を超えていた。
今季は1年を通じて右肩、右足首の痛みを抱えての登板だった。
7年連続の2桁勝利を挙げたが、引き際を悟った。
「エース」として戦った20年。今季の完投、完封は4月2日の巨人戦のみ。
首、右肩痛で抹消となった後は7回が最長だった。
 「先発完投。9回を投げられない体になった時、
他の選手に示し、見せられることのできない歯がゆさがあった」。
メジャーの第一線で戦っても、その思いが消えることはなかった。
エースの意地と矜持(きょうじ)。「引き際を間違えないために、
一生懸命やってきた。こういう引き際を選んだのは、よくできたかな」と笑った。
 「最後の1球」を投げるために広島に戻った。
マツダで行われる23日の日本シリーズ第2戦での先発が濃厚。
展開次第では再び地元に戻る29日からの第6、7戦登板も予想される。
「常に最後のつもりで投げてきた。
ただ、それが本当の現実になる。どういう心境になるのか想像ができない」。
奇跡の広島復帰から紡いだ25年ぶりのリーグ優勝への軌跡。
最後の1球もチームのために投げる。
ついに訪れる最終章。伝説は32年ぶりの日本一で完結する。

                         d_09592802.jpg







黒田さん
あなたは広島の誇りです。


たくさんの夢をありがとう!!!



出来る事なら
あなたの為にも
日本一で締めくくりたいですね!!


最後の最後まで応援します!!!!



背番号「15」♪



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